実家に帰ると母から「誰さんが亡くなった」と、死の話しがよくでました。
その母が「苦しまないで死ぬ方法はないものかね。」と言いますので、
「ありますよ。母さんが私に教えてくれたことをやればいいのですよ。」と言いました。
「なんていったかね。忘れたよ。」というので、
ー 自分の手足を使い、つまり四つん這いでトイレに行けなくなったら、
くちをたつんですよ。ー 母からの宝物
「口から食べ物がこないと心臓から遠い所の細胞からしぼんでいきます。
だから食べなければいいのです。苦しむことなく自然にいけますよ。」と言いますと
「はい、わかりました。ありがとうございます。」といった母が、
父の新盆を済ませた翌日から口を経ち7日目になくなった。
義姉が食べさせようとするが、口を一文字にして一切うけいれなかった。
苦しむことなく眠るようにいった。見事な死に方をいただきました。
父の死もまた、ー父からの宝物
入院して1ヶ月すぎた頃、
父は「みんなにも会えたしそろそろ帰ろうかね。」と、私に言った。
「わかりました、そうしましょう」と私。
親はさすが誰にいえばことが進むか見抜いてましたね。
「兄に明日うちに連れてかえります。」というと返事をしませんでしたが
「これは父の願いですから
そうしてあげましょう。」と兄に言い。
心おきなく今晩つきそってください。と心の中で伝えました。
翌日医者は私のことを尼さんとおもったらしく、自宅に帰るのをゆるしてもらいました。
酸素をはずして「ここが一番いい」と、愛用のベッドで翌日母に看取られ行きました。
父も母も、まだまだ生きられたとおもいますが、”さすが”明治生まれのひとです。
身の引き方を心得ていましたね。
見事な両親の死の美学を心にきめています。
全生時の迎え方
自宅で自然死を望みます。
延命の医療はいりません。
植物人間、ボケ、になったときは7日間だけいかしてください。
意識がなくて大声で喚き、周りの方に迷惑をかける時は、
中川先生にモルヒネを、頼みます。
残されたものがまどわぬように記しておきます。
骨はのど仏と、少々を海か川へ流して下さい.。
年頭にする仕事がこれを書き換えることです。
元気なうちに自分の死に方をかいておきましょう。
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